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ロベルト・シューマン _
幻想曲 ハ長調 / クライスレリアーナ
なぜ今回《幻想曲》と《クライスレリアーナ》を組み合わせたのですか?
あくまで個人的な理由で、私の人生の一時期に関係しています。ショパンのレコーディング
を終えたのち、私は再びシューマンの音楽に身を浸す必要性を感じたのです。彼の作品
を録音し、特に《幻想曲》に関しては、現在の私自身のヴィジョンを示してみたいと思いまし
た。文字通り無我夢中で、この傑作を読み込みました。片時も目が離せなくなり、移動中も
常に鞄の中に楽譜が入っていたほどです。昔から弾いていた《クライスレリアーナ》にも再
び取り組みました。そして4年前に、《幻想曲》をレパートリーにしたいと考えるようになった
のです。《幻想曲》は奏者に、表面的な内容を表現するだけでなく、積極的な関与を求め
てくる作品です。
1835
~
1840
年頃のシューマンの精神状態には驚かされます。あの興奮
こそが彼に、どこまでも豊かで、強烈な独自性をもつピアノ曲を書くよう促したのでしょう。シ
ューマンは《幻想曲》の作曲に丸一年を費やし、これに全力を注いでいます。当時は、ショ
パンやリスト、メンデルスゾーン、そしてシューマン、といった天才たちが一堂に会していま
した。それぞれが、ロマン主義の全盛期に、シンプルな条件を発展させていく独自の表現
方法を手にしていました。私にとってショパンは、転調、フレージング、卓越したルバート、
ベルカント、そして和声によって語りかけてくる作曲家です。一方でリストは、紛れもない明
白さで自らの人生を音楽化しています。しかし私にとってシューマンは、その極めて対位
法的な思考ゆえに、謎めいた存在であり続けています。そこでは音楽形式が、まるで秘密
の言葉遊びのように、どこまでも独創的なのです!《幻想曲》では、私の意図はオイゼビウ
スとフロレスタンに両断され、立ちすくんでしまいます。そして私はよりいっそう、理性では
捉えられない愛の叫びに没入していきます。演奏者はある程度、愛に取りつかれた人物の
立場に身を置かねばなりません。《幻想曲》を介して、狂おしい情熱の中に身を投じるので
す――しかし錯綜する精神世界に引きずられすぎないよう、慎重に。なぜなら、地に足を
着けていないと、二度とその道を引き返せなくなってしまうからです!