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ターリヒ弦楽四重奏団

33

ベルドジヒ・スメタナの室内楽は、ほとんどの場合、彼自身が人生で体験した

悲劇に関連している。彼はその楽譜の中に絶望や期待を託し、大コンサートで

は聴衆に披露できないような自画像を描く。このようなやり方に、セラピー的

な何かをみるべきであろうか

?

彼が

1855

年に『ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重奏曲作品

15

』を

作曲したのは、

4

歳だった娘ベドジーシカが亡くなったことがきっかけだっ

た。

20

年後の

『弦楽四重奏曲第

1

番ホ短調「我が生涯より」』

は、もうひとつの絶

望の叫びだ。

1874

年の

10

19

日から

20

日にかけての夜、彼の耳は完全に聞こえ

なくなり、それはもう治らないものとなったのだ。

50

歳の音楽家にとって、こ

の新たな悲劇がどれほど大変なことだったか、想像にあまりある。彼は創作活

動を停止しただけでなく、プラハの仮設劇場(国民劇場)の芸術監督職など、

さまざまな公職を辞したのである。

弦楽四重奏曲は彼の「日記」となった。彼には大規模な作品はもう無理だとわ

かっていたのだ。作品は

1876

12

月に完成した。演奏には約

30

分を要し、

4

章からなる音楽は、まるで悲劇の筋書きか、災難が変化していく様子を表現し

ているかのようだ。田舎のダンスであるポルカと、失聴という運命との間で進

んでいった作品が、一縷の希望をもって閉じられているのは驚くべきことだ。

『弦楽四重奏曲ホ短調』は、ヨーゼフ・スルブ=デブルノフ宅でプライベート

で初演された。このときのヴィオラ奏者はアントニン・ドヴォルザークであっ

た。公開初演は

1877

3

29

日、プラハのコンヴィクト・ホールで行われた。