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メンデルスゾーン ターリヒ弦楽四重奏団

メンデルスゾーンは弦楽四重奏曲の書法を革新したであろうか。代表作であ

弦楽四重奏曲ヘ短調

を分析すれば、その答えは全く明らかだ。

音空間の大家として、メンデルスゾーンは、ベートーヴェンと、終焉を迎えつ

つあったロマン主義との間の 和声的な橋渡しとなった。時は

1847

年、この世でメンデ

ルスゾーンに残された時間はあと数ヶ月。死期が近いことを感じその激しい恐怖

に凍てつきながら、また、うらみやねたみが渦巻く過酷な音楽界に失望しきった

中で、苦しみのうちに作曲を続けていた。そこにある悲劇が彼を襲う。最愛の姉、

ピアニストで作曲家でもあったファニー・ヘンゼル=メンデルスゾーンが、

1847

5

17

日に突然亡くなるのである。この知らせを聞いて、メンデルスゾーンは気

を失ったと伝えられている。彼は

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年もの間、弦楽四重奏曲を作曲していなかっ

た。彼は、切迫感、不幸な運命、そして周囲の人々の振る舞いや、特に自身の

人生における振る舞いによってわき起こる嫌悪感などを表現するために、ヘ短調

という不安に満ちた調性を選んだ。このような絶望の叫びは、彼を悪く言う人々

の言い分に対抗しうる格好の要素であるに違いない。洗練への探求は全く見ら

れないかわりに、感覚的で幽霊のような何かがある。ここでは、ベートーヴェンの

最後期に思いをめぐらすべきだろう。作曲することへの熱意以外に、何かを伝え

ることは不可能だったということに。

メンデルスゾーンの書法は表現的になり、マーラーのスケルツォや、ヤナーチ

ェクの『ないしょの手紙』を予告するようなものとなった。快く堪能に浸れる、愛想

がよくて心配事のないメンデルスゾーンとの間に、一体どんな関係があるのだろ

?

 彼の本当の表情が照らされるのは、劇において、悲劇においてである。「醜い

もの」を迷いなく堂々としたものにならしめる「レクイエム」〔

訳注.作品

80

のこと