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シューマンの音楽は昔からいつも私の音楽世界の

中にあった。子供の頃、父が弾く『交響的練曲』

や『謝肉祭』を聴きながら眠り込んだことは数れ

ない。また、ギーゼキングやケンプの弾く『クス

レリアーナ』や、ルービンシュタインによる『幻想曲』

作品17など、思い出は尽きない。

『交響的練習曲』、『幻想曲』、『クライスレリアーナ』、『ピアノ協奏曲』 などの代表

作は、ずいぶん前から弾いていた。毎回、これらの曲を取り上げるごとに、細か

いことや、今まで思いもよらなかった美しさが私の前に現れるのだ。シューマンの

楽譜を読むということは一つのこととして、彼が望んでいたことを「物理的に」表現

できるようになるまでには、長い、非常に長い探索と練習が必要になる。シューマ

ン独特のリズムやシンコペーションを自分のものとして「感じ取る」ことが必要なの

だ。それが、彼の人となりをつかむ鍵だからだ。ベートーヴェンの音楽におけるス

フォルツァンドと同様、シューマンのシンコペーションは、シューマン自身につい

て、彼の内面世界が恒常的に揺れ続けていたことについて、多くを物語っている。

録音という証言を残すためには、長い間その音楽とつきあわねばならない。たし

かに、

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歳で 『幻想曲』 を弾くことはできるだろうが、何かがわかったとは言が

たい。歳を重ねてこそ、例えば、

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分もある緩徐楽章で,初めてハ長調の和音が

出てくるのは終わりから

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小節目だということや、この和音が生む驚くべきカタ

ルシス作用がどういうものかが理解できるというものなのだ。