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ターリヒ弦楽四重奏団

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ハイドンはこの形式にほとんど偶然にとりかかったと、彼自身が主張している。ともあ

れ、

1750~60

年代に、彼が新しい音楽語法の基礎を築いたのである。その語法は18世紀

の終わり以降、最も洗練され最も刺激的な音楽表現となっていった。

ある意味では形式の平凡さから生まれたと言える弦楽四重奏曲は、大衆音楽と精緻な

音の探求との間の総合を実現した。それは前ロマン主義世代の音楽家たちの光明とし

て、啓蒙時代の音楽的理想となったのである。

1780

年代、ハイドンは ― モーツァルトよりもさらに ― ヨーロッパで最も偉大で

最も有名な作曲家と考えられていた。ドイツ、イギリス、フランスのさまざまな宮

廷は、室内楽から交響曲、オラトリオまで、多様なジャンルの作曲を、ハイドンに

多く注文した。

ハイドンがその音楽人生の中で最も驚くべき注文を受けたのは、

1786

年のことだっ

た。『十字架上のキリストの最後の言葉』による、器楽曲の作曲である。彼には、

この曲がまず弦楽四重奏曲となり、次にピアノ曲、最後にソプラノ、テノール、ア

ルト、バスのソリスト歌手と

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声合唱およびオーケストラのためのオラトリオにな

るとは予想さえできなかった。当時としては特異とも言える変貌であり、それは、

オリジナル版が広く知られているということだけでは説明が不可能である。