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つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのために書かれた楽曲
はそれまでにも存在したものの、ハイドンが弦楽四重奏曲
というジャンルの生みの親だと主張するのは正当なことだ
と思われる。彼以前では、特にフランソワ=ジョゼフ・ゴセッ
ク
(1734-1829)
、ルイジ・ボッケリーニ
(1743-1805)
の名前を
挙げることができる。ハイドンによる一連の弦楽四重奏曲
は、それまでの、楽しませることを第一目的とした常に流暢
な作風からは一線を画している。
18世紀の後半から、アマチュアの愛好家を対象とした新
しいタイプの集団的な音楽実践形態が現れた。プリマ・ヴ
ォーチェと呼ばれた第一ヴァイオリンのパートには高度な
テクニックを要したものの、カッサシオンやディベルティメ
ント・ア・クワトロが個人のサロンで演奏されるようになる
と、イタリア風セレナーデの精神は徐々に失われていき、
作曲家たちは新しいジャンルに強い興味を示すようになっ
た。