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24 エネスクは、ある種の偉大な徳をも体現する存在なのではないでしょうか?シナヤの家の 彼の部屋は、さながら修道士の独居房のようです。わずか10平方メートルで、鉄のベッド が置かれ、机と窓が一つずつ……。彼は時おり、音楽の苦行者のような生活を送っていま した。しかし彼は、応接間には世界各地の文化を象徴する沢山のオブジェを並べていまし た。彼は、人間や文化に関するものであれば何にでも親しみを感じたのでしょう。 エネスクの心は、他者に対しても世界に対しても、この上なく大きく開かれていました。そし て彼は、音楽との関係、音楽家たちとの関係を築く上で、決して妥協しませんでした。彼は、 教育者として――前述のメニューインのほか、イヴリー·ギトリス、クリスチャン·フェラス、ア ルテュール·グリュミオーら、沢山の弟子を育てました――、作曲家、ヴァイオリン奏者、指揮 者として、多大な貢献をしました。世界中の幾世代もの音楽家たちが、彼が放つオーラと強 烈な個性から影響を受けています。 エネスクは、終生、フランスとルーマニアを行き来しました。フランス音楽は、彼の作曲家と しての成長過程に影響をおよぼしたのでしょうか? きわめて重要な役割を演じました。エネスクは19世紀末に、15歳という若さでパリ音楽院 に在籍していました。モーリス·ラヴェルと同じ対位法のクラスを受講していたのですよ。ラヴ ェルは、“もっとも優秀な生徒はエネスクだった”と言っていたそうです。エネスクが学んだマ ルタン·マルシックのヴァイオリンのクラスには、ジャック·ティボーもいました。ジュール·マス ネ、そしてとりわけガブリエル·フォーレ(彼はエネスクのメンターでありつづけました)に作曲 を師事した彼は、同時代の音楽言語を完璧に手の内に収めていました。その最たる例が、エ ネスクが1900年に書いた《弦楽八重奏曲》です。 ショーソン / ラヴェル / エネスク

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