LDV94
ジョフロワ・クトー / メス国立管弦楽団 29 〈アダージョ〉の沈痛な曲調とは打って変わって、終楽章〈ロンド〉(アレグロ·マ·ノン·トロッ ポ)は、意気揚々としたリフレインとともに、抑えがたい喜びに突き動かされたディオニュソ ス的な変奏を展開させる。この喜びは、曲の終わりに向かって脇目も振らず霊感を増してい くように感じられる。ニーチェの分身ツァラトゥストラによれば、“あらゆる喜びは永遠を欲 してやまない、深い、深い永遠を欲してやまない”という。ブラームスはまさに、この言葉に同 調している。躍動感あふれる野性的で田園的な喜び(じっさい自然は、この協奏曲の第1·3 楽章のテーマでもある)は、主題が回帰するたびに、同様の生気と熱気をもって主題を新た に充実させる……。バッハあるいはヘンデルからの影響は(《ブランデンブルク協奏曲》や《 水上の音楽》はブラームスからそう遠くないところにある!)明らかである。そのあかしが、 終楽章の田園風の雰囲気と見事かつ壮麗に結びつけられた圧巻のフガートだ。内向的な 第2楽章につづく終楽章において、ブラームスは、生気に満ち満ちた“野外の”音楽を書き上 げることに成功している。この音楽は、若き作曲家にみなぎる無尽蔵の活力を物語ってい る。終楽章の半分を占める終盤の凄まじいカデンツァと華々しいコーダが、歓喜に包まれ ながら、この協奏曲の幕を閉じる……。 シューマンと同様に、ブラームスもまた、生涯にわたってバッハの音楽に深 い愛着を抱いていた。その芸術性の高さはもとより、宗教的な次元にも強く 惹かれていたのである。バッハの音楽からの影響は、ブラームスの器楽曲に も声楽曲にも等しく見いだされる。その最たる例が、詩篇、モテット、宗教声 楽曲、オルガン·コラールだろう。
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