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37 いっぽうで、みずみずしい第3楽章〈スケルツォ〉からは、どのようなインスピレーションを 与えられますか? 今回のレコーディングでは、この楽章を通常よりも遅めに弾いています。私は、やや遠慮が ちな天使たちの踊りをイメージとして描きつつ、変ロ短調と変ロ長調のあいだできらめく純 真無垢な“子供の情景”を表現しようと試みました。シューベルトはここで再び、ウィーンの 街が彼に与えることを拒んだすべてのものに眼差しを注いでいます。それを暗示するかのよ うなワルツが、ナイフのように彼を傷つけます。いわば毒をもった“マックス・オフュルス的な” ウィンナー・ワルツが、ト(ソ)音のエコーの中でさえ執拗に振るまいます。2回の音の噴出( ヘ短調)が起こった後、途轍もない超絶技巧に富んだ轟々たるパッセージワークをかきわ けて、ユニゾンが威勢よく響き渡ります。それらは私たち演奏者を危機に陥れます。なぜな ら作曲者自身が危機に瀕しているからです。そして何ということか、今度は喜びの旋風、幸 福も同然の旋風が巻き起こります。シューベルトは、すべてが終わったことを知っていたの です。私は数回、シューベルトの時代のピアノフォルテには存在しなかった――けれど彼が 明らかに意図していた――音域を、モダン・ピアノであえて用いました。 じつのところ、シューベルトはいっさいの要素を即興的に書いていません。彼は時おり、私 たちに即興であるかのように錯覚させ、私たちを惑わせているだけです。そこではすべてが 周到に準備され、すべてが決して絶頂に至りません。なぜなら彼には、避けられないものを 絶えず先延ばしにし、時間を稼ぐ必要があったからです。左手が馬の疾走の主題とそのシ ンコペーションを聞かせるファウスト的な終楽章で、深淵へと急ぐ“さすらい人”の歩みによ うやく終止符が打たれるのです。 ジャン=マルク·ルイサダ

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