LDV80

本盤はどのような経緯で生まれたのですか? テオ·フシュヌレ : ジュネーヴ国際コンクールの決勝の後すぐに、ラ·ドルチェ·ヴォルタ·レー ベルのディレクターと出会いました。ホテルのエレベーターで偶然一緒になったのです。ちょ うど私がバルトークの協奏曲第3番を弾き終えたところでした。彼から、“貴方さえよければ、 私たちのレーベルに喜んでお迎えします”と声をかけてもらいました。ですから、偶然と必然 が重なったと言えます——私は目の前に差し出されたチャンスに飛びつきました。思い切っ て、自分から野心的な録音曲目を提案し(笑)、幸いにも承諾いただきました! なぜ、この二つのソナタを選んだのですか? 実はもともと長いあいだ、《ハンマークラヴィーア》を演奏·録音したいと切望していたのです。 巨大な難曲ではありますが、この作品がもつ極めてフィジカルな側面を意識したとき、“若い うちに弾かなければならない”と強く感じました! ……“この種の大作は十分なキャリアを積んでから挑むものだ”という定説を加味する と、いっそう大胆な選曲に思えます。 確かにそうですね。ただ一方で、これまで私が師事した先生方はいつも、この曲に挑むよう 勧めてくださいました。アラン·プラネス先生が、ルドルフ·ゼルキンとの“やり取り”について私 に話してくれたことを、よくおぼえています。ゼルキンはプラネス先生に、“ときどき《ハンマー クラヴィーア》を弾いているかい?”とたずねたそうです。プラネス先生が謙虚に、“もっと後に なってから……60歳を過ぎてから弾こうと取ってあります。それまでは早すぎます”と答えた ところ、ゼルキンは次のように言い放ったのです。“あれこれ言わず、すぐに取り組みはじめた ほうがいい。私は60年間この曲を演奏しようと試みてきたが、いまだに上手く弾けないよ!”

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