ベートーヴェンと同様、後期のレンブラントも、キリストを目に見えない神のしるし として描いている。顔立ちはぼやかされ、光と影の絶え間ない戯れが、“描写され得 ないはずのもの”を出現させる。ベートーヴェンは、これ以上なく大胆な様式を探求 した晩年に、既存の弦楽四重奏の枠組みを“爆破”し、目に見えない光をじっと見 つめるレンブラントと同じように、内なる聴取の中に身を沈めた。そうしてベートー ヴェンは、沈黙に接近していった。震央、台風の目の中にいた彼は、言語に絶する ささやきを通って肥沃な沈黙へと向かっていく。イザイ四重奏団が聞かせるこの沈 黙は、彼らの最たる偉業の一つだろう。4人は、死の空虚な沈黙や、憔悴の沈黙や、 干からびた地面の沈黙とはかけ離れた沈黙を、私たちに聞かせる。彼らが作品18 以来、一貫した方針を維持しているおかげで、私たちはこの変遷を見届けること ができる。初期の弦楽四重奏曲に、萌芽として、あるいは天賦の才のまたたきとし て含まれていたあらゆるものが、晩年の弦楽四重奏曲で実に荘厳に展開されるの を、私たちは耳にする。 77 イザイ弦楽四重奏団
RkJQdWJsaXNoZXIy OTAwOTQx