中期のレンブラントも、その関心の的を場面から人物へとシフトした。今やレンブラ ントの興味を掻き立てているのは、聖書の登場人物としてのキリストではなく、数 々の試練に耐える人間としてのキリストだ。じっさい当時の彼の絵画の中で、キリス トと他の登場人物たちは区別しがたく、鑑賞者は彼を探さなくてはならない。しか も、あらゆる逸話的な要素は除かれているように見える。そのとき現出するのは、キ リストの顔だ。それは肖像画となり、さらに——その顔が[作者の]内面世界を表 現している限りにおいて——自画像にさえなる。中期のベートーヴェンが、弦楽四 重奏曲を、心の内奥の領域内にとどめたのと同じように。この傾向がいっそう顕著 になる後期に入ると、譜面には極めて異例な演奏指示が現れ始める。たとえば作 品132の第3楽章〈アダージョ〉の冒頭には、ベートーヴェンが1825年5月13日に 手記につづった言葉「病から癒えた者の神への聖なる感謝の歌」が書き入れられ、 「リディア旋法による」と追記されている。曲中、8分の3拍子に代わる箇所には「 新しい力を感じながら」と書かれており、さらに〈モルト・アダージョ〉のテンポに回 帰するさいには、全パートに「最も深い感情とともに」と記されている。確かに音楽 も、ただ一つの和音や音にかかる吹子(ふいご)の送風のようなクレシェンドとデク レシェンドによって、この言葉が意味するものを表現している。まるで沈黙の戸口で 時が止まったかのように……。じっさい楽譜は、表現され尽くすにはあまりに広大 な可能世界を象徴するかのように、沈黙の指示で満ちている。 76 ベートーヴェン | 弦楽四重奏曲(全曲)
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