LDV600-6

中期ののち、ベートーヴェンが次に弦楽四重奏のジャンルを訪れるまでに14年の 空白がある。そして彼は、今度はこのジャンルを偏愛する。晩年のベートーヴェン は、僅かな例外を除けばもっぱら弦楽四重奏曲を書き続け、それらを“蟻継ぎ”のよ うに結合させ関連づけた——1曲を書き終える前に、次の1曲を書き始めることに よって。これら後期の弦楽四重奏曲は、1824年から1826年にかけて、作品127( 第12番)、作品132(第15番)、作品130(第13番)、《大フーガ 作品133》(もとも と第13番の終楽章として書かれた)、作品131(第14番)、作品135(第16番)の 順に作曲された。この奇跡的な創作期を、かつてロマン·ロランは「復活の歌」と呼 んだ。ベートーヴェンが全作品で限りない想像の翼を広げ、途方もない発明の才 を発揮しながら、絶えず楽曲形式を刷新していった驚嘆すべき時期である。 「[私の]心を傷つける/秋のヴァイオリンたちの/長いすすり泣き」[ヴェルレーヌ 「秋の歌」]は、晴れやかな心の春を逆説的に象徴する。そこでベートーヴェンは、 すでに若かりし彼が親しげに語りかけていたオリュンポスの神々と同じ次元にま で、自らを引き上げている。 69 イザイ弦楽四重奏団

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