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50 プロコフィエフ | カウエル 先ほど、フランス音楽がプロコフィエフに及ぼした影響について言及なさいました。彼の 作品は、何よりもロシア音楽の伝統に根差していると思われますか? 面白いことに、私は《シンデレラ》の中に、チャイコフスキーとの繋がりを感じません。チャイコ フスキーといえば、三大バレエの作曲者であるにもかかわらず……。反対に、《シンデレラ》 に見出される、ある種のアイロニーや冷ややかな音楽言語は、ショスタコーヴィチを想起させ ます。例えば、有名なオーケストラのための《ジャズ組曲 第2番》など……。好例は、シンデ レラが舞踏会に向かう際のエピソードですが、その書法はショスタコーヴィチのピアノ書法よ りもいっそう陰影に富んでいると思います。 あなたは《シンデレラ》のオーケストラ譜を読み込んだそうですね。その“下準備”は、ピア ノ版の演奏におけるフレージング、テンポ、強弱の選択に、何らかの影響を与えましたか? まず明確にしておきたいのですが、私のアプローチは、編曲者としてのアプローチとは違い ます。私は、あくまでプロコフィエフがピアノ用に書いた音楽を奏でるというスタンスで録音に のぞんでいます。もちろん、オーケストラ版を参照して鍵盤に向かうこともありました。とりわけ オーケストラを意識しながら判断したのは、強弱表現です。バレエ《シンデレラ》において、オ ーケストラの音量の程度そのものは、さほど重要ではありません。ピアノでは“フォルテ”は強 く弾くことを意味しますが、オーケストラでは事情が変わるからです。オーケストラでは“フォ ルテ”が“よりたっぷりと豊かに”音を響かせることを意味する場合もありますし、音色の選択 肢も大きく広がります。同様に、プロコフィエフが譜面に“スタッカート”を記し、その直後に“ 優雅に”と書き添えているときには、撞着語法すれすれの指示として受け止め、どう表現す べきか考えなければなりません。奏者は、物語の流れを維持しながら、記されているニュア ンスの本当の意味をつかんで、自分の解釈を音で提示する必要があります。ただしテンポ に関しては、私の問題意識はやや異なります。オーケストラでは、特定の速いテンポは速く 演奏するしかありません。しかしながら、ピアノでもそのテンポを額面通りに採用すると、プロ コフィエフの音楽の複雑さや繊細さを明確に表現することがどうしても難しくなる場合があり ます。実際、私は時おり、楽譜上の指示よりもやや遅めのテンポで弾いています。

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