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ウィレム・ラチュウミア 49 どの程度、複雑なのでしょうか? プロコフィエフの音楽において、簡明な表現は、ある種のパッセージの辛辣で皮肉な性格 をさまざまに際立たせています。一方、複雑な表現は“本題”を著しく充実させています。 例えば——Op.102の〈愛をこめて〉の話題に戻りますが——私から見れば、この曲のオーケ ストラ版の書法は、ピアノ版の書法よりもいっそう穏健なのです!プロコフィエフはピアノ版 に、私が“捻じ曲げられた書法”と呼んでいる一連の複雑な音型を加えており、それらが意 図的に、抒情性や旋律線に厚みをもたらしています。従って、簡明な印象を与えるその音 楽は、実際は複雑であり、優れたメロディ・メーカーであるプロコフィエフは、まさに“歌唱不 可能な”旋律を私たちに聴かせているというわけです! 19世紀に——とりわけフランツ・リストによって——重んじられた編曲の技法を駆使しながら、 プロコフィエフは沢山の自作をピアノ用に編曲しました。その後にも、彼の音楽はさまざま なピアニストたちによって編曲されてきました。彼らの編曲が美しい出来であることは確かで すが、概していずれも、プロコフィエフ自身によるピアノ編曲とは異なります。実際それらの 大半は、あまりにピアニスティックに仕上げられています。他方、プロコフィエフの編曲の技 法には意外性があり、鍵盤を忘れさせます。

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