LDV60
42 プロコフィエフ | カウエル ヘンリー・ディクソン・カウエルについて ヘンリー・ディクソン・カウエル(1897-1965)は、アメリカ出身の音楽理論家・作曲家であり、 ジョン・ケージやコンロン・ナンカロウら数多くの前衛作曲家たちに強いインパクトを与えた。 カウエルが手がけた約40作のピアノ曲では、(チャールズ・アイヴズと同じ手法の)トーン・ クラスター、不協和な対位法、複調的な和声、複雑なリズム書法が用いられている。カウエ ルによる新しい響きの探求は、ベーラ・バルトーク、アルノルト・シェーンベルク、アルバン・ ベルクらヨーロッパの作曲家たちからの影響のみならず、アジアの諸音楽との出会いを通 じて推し進められた。実際、トーン・クラスターが展開される《マノノーンの潮流》(1912)を 筆頭に、彼の作品の幾つかは、発表時に、歴史に残るスキャンダルを巻き起こした。さらに 後の作品ではとりわけ、新たなリズムが積極的に追求された。例えばカウエルは、“リズミコ ン”という鍵盤付きのリズム楽器の開発を依頼し、これを自ら用いた。その後、《ファブリック》 (1914)、《3つのアイルランドの伝説》(1922)、そして史上初めてピアノの弦を直に奏でるよ う指示した作品《エオリアン・ハープ》(1923)が続き、《アイルランド・ジグ》(1925)、《ドムヌ、 水の女神》(1926)、《不吉な響き》(1930)、《ディープ・カラー》(1938)と、カウエルの代表作 が次々に生まれていった。多作家であったカウエルは、アメリカの伝統音楽や多様な民間 伝承にも関心を寄せた。彼はまた、長い歴史を誇るクラシック音楽にも、時にユーモアを交 えながらオマージュを捧げた。その好例が《バッハの様式に基づくプレリュード》、《クァジ・ モーツァルト》(1913)である。“直観的な”作曲家であったカウエルは、新しい音の時空へ の扉をわずかでも開くものであれば、どんな突飛な音素材でも歓迎した。
RkJQdWJsaXNoZXIy NjI2ODEz