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ジャン=フィリップ・コラール 47 《展覧会の絵》は極めて視覚的な作品です。演奏に際して、視覚的なイメージ をどのように位置付けていらっしゃいますか? もちろん私は、ムソルグスキーに霊感を与えたヴィクトル・ハルトマンの絵を見たことがありま す。ただしそれらは、比較的すぐに私の記憶から消えていきました。私がハルトマンの『キ エフの大門』や『リモージュの市場』に興味をそそられるのは、作品そのものというよりも、全 体の色彩感です。私はいつの時も、色彩を追求してきました。ですから私にとって視覚的 なイメージは、あえて言うならば、自分が聴衆とのあいだに築こうとしている関係をとりなして くれる存在です。演奏会で実際に、私が自ら聴衆に語りかけることもあります。時に私は、 楽曲にまつわる言葉を、音楽と共に差し出す必要性を感じます。なぜなら、聴いてくださる 方々の心に出来る限り寄り添うことこそ、私たち演奏者の義務だと考えているからです。そ のためには、演奏者が聴き手に言葉を投げかける必要があるというわけです。とはいえ《展 覧会の絵》が、言葉による説明なしに成立しうる楽曲であることも確かです。いずれにせよ、 《展覧会の絵》が傑作であるのは、コミュニケーションの原則が極みに達している作品だか らでしょう。つまり聴き手は前もって、“展覧会を見にいく”ことを想像しています。各曲のタ イトルそのものが、すでに強力な喚起力を有しています。〈小人〉〈テュイルリーの庭〉〈雛の 踊り〉〈バーバ・ヤーガの小屋〉……。これらの曲名はいずれも、音楽と見事に辻褄が合って いますが、それは私たちがあらかじめ得た視覚的なイメージが、音楽のあらゆる知覚を左 右しているからに他なりません。その場合、私たちが進むべき道はすでに示されているも同 然なのです。
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