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38 ラフマニノフ // ムソルグスキー セルゲイ・ラフマニノフと 《6つの楽興の時》 1896 年に《 6 つの楽興の時》を作曲したセルゲイ・ラフマニノフ( 1873-1943 )は、当時すでに オペラを 1 作書き上げ、《前奏曲 嬰ハ短調》で最初の成功を手にしていた。彼はこの時期に 23 歳という若さで、交響曲第 1 番作品 13 に着手してもいる。しかし彼は、この交響曲が酷評さ れたことにより、 4 年ものあいだ神経衰弱に陥ることになった。彼を失意の底から引きあげた のは、暗示療法と《ピアノ協奏曲第 2 番》の輝かしい成功である。こうして熱気に満ちた多作 期を迎えた彼は、有名な《ピアノ協奏曲第 3 番》《前奏曲集》を含む数々の代表作を手がけ ていった。しかし 1917 年に勃発したロシア革命が、ラフマニノフの“黄金時代”に突如として ピリオドを打つ。祖国との別れを余儀なくされた彼は、アメリカへ亡命し、この地で世界的ピ アニストとして輝かしいキャリアを築いていくが、一方で作曲の筆はほぼ静止した。以来、故 郷の土を二度と踏むことなく、ラフマニノフは 1943 年にビバリーヒルズの邸宅で息を引き取 った。彼が残した多くの作品は、言わばその“平明さ”ゆえに、長いあいだ評論家たちから 軽視されてきた。しかし再評価を経た彼のピアノ音楽は、今日、ロシア音楽の偉大なるレパ ートリーに列されるべきものとみなされている。
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