31 上野 通明 黛敏郎(1929-97)は、東京藝術大学とパリ音楽院に学び、若くして前衛作曲家として注 目を集めた。しかし30歳を目前にした1958年、彼に大きな転機が訪れる。黛はこの年、仏 教音楽である声明と西洋のオーケストラの響きを重ね合わせた記念碑的な大作《涅槃交 響曲》を書くとともに、中央公論誌上に「ヨーロッパ音楽への決別」という一文をものして、 日本の伝統を取り入れた作風へと急速に傾斜してゆくのである。 1960年に作曲された《BUNRAKU》は、この転換を代表する作品のひとつ。タイトル通り、 ここでは日本の伝統的な人形劇「文楽」で用いられる太棹三味線の響き、そして太夫の語 りが、たった一本の楽器から鮮やかに現出する。弦を指板に強く叩きつけるバルトーク·ピ ツィカート、そして微妙なポルタメントが三味線の音響を構築してゆくが、同時に「語り」の 旋律が対比的に置かれていることに注意したい。これらの要素が絡み合いリズミックに発 展する中で、聴き手は、人形遣いの丁々発止のやりとりを眼前にすることになるだろう。上 野は初めて文楽の公演に行ったとき「そのドラマ性や激しさに驚いた」と述べているが、そ れは正確に、若き黛敏郎の感覚でもあったはずだ。
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