LDV139

39 ジャン=フィリップ・コラール ブゾーニはバロック時代の精神に忠実なのでしょうか? 私から見れば、両者のアプローチは全く異なります。この問題について考えたことすらあり ませんし、関心もありません。ブゾーニがピアノのために手がけた壮大な編曲とバロック様 式は合致しません。おそらくブゾーニの“翻訳”は、いわばバッハの音楽への無敵な通行許可 証をモダン楽器に授けています。私たちは一秒たりとも、今日のピアノの現代的な側面に煩 わされることはありません。じっさい、私がハ長調のトッカータを初めて聞いたのはジョルジ ュ・シフラの演奏でした。衝撃を受けました。バッハが筆を手に取り、「ド – ミ – ソ – シ – フ ァ」と書き記し、休符を置く姿が目に浮かび、ただただ驚嘆しました! 本盤は、貴方の録音活動の有終の美を飾るものとなりうるのでしょうか? 今はバッハの音楽を通じて抱いた強烈な感情からようやく抜け出したところですし、まだそ の感触が残っています。ピアニストである喜び、音を生み出す喜びが、私の内部であまりに咲 き乱れたがゆえに、一つの環(わ)が閉じたように感じられます。私には、もう入り口がないの です。バッハのあとに少しシューベルトを弾こうとしてみました——それが“最後の最後”にな るかもしれないと考えながら。しかし私は、どうにもそれを受け入れられませんでした。本盤 のプログラムは、私のピアニストとしての知の完遂を意味し、他を凌ぐ次元にあります。これ 以上、何を探求できるというのでしょう?

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