36 ジプシーの歌 ヤナーチェクと並んで、ベーラ・バルトーク(1881-1945)も、民俗音楽を重要なインスピレ ーションの源とした作曲家の一人だ。あるとき、英国とドイツへのツアーから帰国したバル トークは、ハンガリーの田舎で完全に独りで休暇を過ごすことを望んだ。このとき、現地で 歌われている“本物の”民謡と出会った彼は、既存のハンガリー民謡集が非科学的であり、 人工的な音楽を扱っていることに気づかされた。彼は、取り返しのつかない喪失の危機にあ る“宝”の存在を認識したのである。バルトークは、ゾルターン・コダーイ(1882-1967)ととも に、1905年に自身初の民俗音楽採集の旅に発ち、ハンガリーの田舎をまわった。二人は、ま ず旋律と民謡を書きとめ、それらを蓄音機で録音した。 バルトークは、ハンガリーのみならず、バルカン半島、ロシア、オスマン帝国、北アフリカでも調 査をおこなった。彼は東ヨーロッパへ幾度も旅を重ねながら、大量の民謡や民俗音楽の旋律 を集め、その一部を自作にも取り入れた。1915年の《ルーマニア民俗舞曲SZ56, BB68》も、 彼がトランシルヴァニアで録音した舞曲の旋律が元になっている。バルトークは、この曲集の ピアノ独奏版を自身のコンサートで好んで取り上げた。彼は配布プログラムで次のように解 説したこともある:「ここではルーマニアの舞曲の旋律を、そのまま変更を加えずに用いてい る。」バルトークによる小オーケストラ版、サロン・オーケストラ版、弦楽オーケストラ版、セー ケイ・ゾルターンによるヴァイオリン&ピアノ版といった編曲も、《ルーマニア民俗舞曲》の人気 を高めた 。
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