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34 程なくしてドヴォルザークは、チェコの詩人アドルフ・ヘイドゥーク(1835-1923)の最初の詩 を歌詞として、次なる歌曲集《ジプシーの歌》を書き上げる。この歌曲集も委嘱作品であり、 依頼主でウィーン国立歌劇場のメンバーであったテノール歌手グスタフ・ヴァルター(18341910)に献呈されている。そのような背景ゆえに、ドヴォルザークは、ドイツ語に訳された詩( 歌曲集のためにヘイドゥーク自身が手がけた)に付曲した。ベルリンの出版社ジムロックから 刊行されたドイツ語版の楽譜は、ボヘミア内で反発を招いた。この事態は、のちにチェコ語の 歌詞を伴う《ジプシーの歌》の楽譜が出版されたとき、ようやく収まることになる。 したがって、本盤に収められたイジー・カバートによる器楽用編曲は、ドヴォルザー クの有名な二つの曲集が歌詞なしでも感銘を与えうるのかを問う試みでもある。 ドヴォルザークは民謡から僅かに想を得ながら独自の音楽を創り上げたが、同郷の後輩で 友人の作曲家レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928)は異なるアプローチを取った。生涯にわ たり民謡に関心を寄せた彼は、モラヴィアとシレジアの国境にある生地フクヴァルディ村で 民謡と出会い、その後に出版譜をとおして体系的に民謡を学んだ。実地での研究を好んだヤ ナーチェクは田舎をまわり、歌い手や踊り手や民俗音楽の演奏グループと接して、歌われ・踊 られている音楽を至る場所で記譜していった。彼は民謡のなかに、人間の全て——身体、魂、 生活環境——を見出したのである。 ジプシーの歌

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