35 ジャン=バティスト·フォンリュプト 鐘の存在は、小品である一連の前奏曲に、ある種の崇高さを付与しているような気がしま す。その点についてはどう思われますか? 一連の前奏曲は「音の絵」ではあってもミニアチュール(細密画)ではありません。その凝縮 された内容は、より壮大な何かを内に宿しているような印象を与えます。その印象を促して いるのが鐘です。私たちは一枚の風景画を見るとき、往々にして三つの次元を知覚します。 つまり、空間、地平線、そして天をめがけてそびえる木や教会のような垂直の要素です。ラフ マニノフの前奏曲を聞いていると、ある何らかの空間、ある何らかの風景のなかにいるよう な感覚をおぼえます。この音楽は何かを語ってはいません。逆説的ですが、《絵画的練習曲「 音の絵」》のほうが、よりいっそう語りや心理描写を想起させます。各前奏曲においてラフマ ニノフは、あちこちさまよったり別の場所へ向かったりしないよう努めています。各前奏曲の 最初の数小節が、曲を最後の一音まで決定づけているのです。そこに導入部はありません。 すぐに本題に入り、脱線もしません。決して横道にはそれません。そこから抜け出るのは、次 の前奏曲へと場所を移すときだけです。それぞれの前奏曲が無二の風景を描いています。
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