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57 テオ・フシュヌレ これら一連の夜想曲は、様式や表現の面で、どのように変遷したのでしょうか? フォーレの書法は、私が知る限り、音楽史上で最も美しい進展の一つを遂げました。ハーフ トーン(中間色)を帯びた初期の夜想曲は、抗しがたい魅力と甘美さを湛えていますが、フォ ーレはそこから離れ、峻厳で、純化された、険しい、しかしまた極めて濃密な最晩年の夜想曲 へと向かいます。第5番と第6番のあいだには10年の空白があります。重要な岐路である第 6番と第7番を経て、より暗く、より虚飾を排した新たな展望が開かれます。 この書法の変遷は、何に起因すると思われますか? ちょうど第8番が書かれた1902年に現れ始めた聴覚障害が、主な要因だと思います。その 後、フォーレの難聴は悪化の一途をたどり、ついには最高・最低音域を正しく聴取できなくな ります。じっさい第13番の冒頭は、ほぼ1オクターヴの幅の、狭い中音域内で書かれています。 [同じく晩年の]《弦楽四重奏》を想起させる、限られた音域です。フォーレの音楽は、概して 慎み深く曖昧で、たいていは言葉で形容しがたい感情を漂わせていますが、第9番では筆舌 につくせぬものが絶望に打ちひしがれ、その絶望は、第10番において極みに達します。時おり 葛藤を経ながら緩慢に展開される第10番では、叙情性、流動性が影を潜めます。第一次世 界大戦という時代背景も、最後の3つの夜想曲[第11~13番]に影を落としています。

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