つまり、アルバム全体を俯瞰すると、ヒバリが象徴する太陽や昼と、鐘が象徴する黄昏や 夜が、ある種の対位法を織り成しているということ? その通り。じっさい、リパッティの曲だけでなく、ヴィオレタ・ディネスクの《鐘の響き》も夜想 曲と言えるし、〈草原の声〉にも夢幻的な世界が広がっている。ひるがえって、本盤の舞踊的 な要素は、どれも昼の領域に属している。村人たちは日曜の昼間、祭りのために集うからね。 さらに本盤の民俗音楽的な側面の延長線上には、よりスピリチュアルな一面もある。バルト ークが収集・編纂した2巻のコリンダ集《ルーマニアのクリスマスの歌》のうち数曲は、今日 もなお、トランシルヴァニア地方で歌われている——「永遠は確かに農村で生まれたんだ」と でも言いたげに……。 ルーマニア音楽が主として、教会の音楽——ビザンティン聖歌など——と、民衆の音 楽——民俗舞曲など——であったことを、忘れてはならないと思うの。西洋クラシック音楽 の歴史は、ルーマニアではチプリアン・ポルムベスク[1853-1883]まで、つまり19世紀後半 までしか遡ることができない。ルーマニアの長い音楽史上でクラシック音楽が占めている割 合は、大洋の一滴程度ということ。ルーマニアの[クラシックの]作曲家たちが現れたのは、か なり最近のことだし、彼らは、幾世紀にもわたり発展した伝統音楽の最後の目撃者でもあっ た。それらは、[記録されない]はかない音楽であったがゆえに、国外では全く存在を知られ ていなかった。おそらく私自身がルーマニアの民謡や民俗舞曲に絶えず立ち返る理由も、“今 この瞬間”のはかなさを受け入れながら、その瞬間を濃密に生きているような感覚を抱くか らだと思う。まさにそれが、私たちの感性を刺激する生きた体験としての音楽の神髄なので はないかしら? ルーマニアが生んだ偉大な指揮者の一人、セルジュ・チェリビダッケは、そ れを自らの信条にさえした。彼は、演奏を録音されることを嫌ったの。その根底に、ルーマニ アの口承伝統が代々伝えてきた叡智があったことは、容易に想像がつく。 47 ダナ・チョカルリエ
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