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38 ドヴォルザーク ワルツとほぼ同時期の1880年10月に完成した《弦楽四重奏楽章ヘ長調》(B. 120)は、新 たな弦楽四重奏曲の第1楽章となるはずだった。オペラ《ディミトリー》を書き進めていた ドヴォルザークは、ある日、ウィーンの日刊紙『ノイエ・フライエ・プレッセ』を読んで驚いた。 名高いヘルメスベルガー四重奏団――その第1ヴァイオリン奏者はウィーン宮廷歌劇場 の指揮者だった――が、1881年12月15日にドヴォルザークの新作四重奏曲を演奏する と告知されていたからだ。何も知らなかった彼は仰天し、《ディミトリー》の作曲を中断して ヘ長調の弦楽四重奏曲を書き始めた。上述の音楽学者ブルクハウゼルは、ウェーバーのオ ペラ《魔弾の射手》の〈アガーテのアリア〉があまりに明確に引用されている点を、この楽章 が破棄された理由だとしている。いずれにせよ、ドヴォルザークは別途、ハ長調の弦楽四重 奏曲第11番(作品61, B. 121)を書き上げて“締め切り”に間に合わせた。ヘ長調の第1楽 章は自筆譜のまま脇に置かれ、作曲者の死後1945年にラジオ・プラハでオンドリチェク四 重奏団によって初演されるまで、日の目を見なかった。出版されたのは、その6年後である。

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