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34 ドビュッシー / 12の練習曲 ∙ 聖セバスティアンの殉教 この《練習曲集》では、ドビュッシー特有の“官能主義”が抑制され、ある種の抽 象性へと徐々に向かっていると考えることはできるでしょうか? 《練習曲集》では明らかに、“官能主義”と“印象主義”――ただしドビュッシー本人は、この 語と関連づけられることを強く拒みました――が影をひそめています。この点に関して、彼 がつけた曲名に注目してみると面白いのではないでしょうか。ドビュッシーの《ピアノのため に》までのピアノ作品には――有名な〈月の光〉を例外とすれば――、古典的な形式ないし 舞曲にちなんだ伝統的なタイトル、あるいはショパンから霊感を得たタイトルがつけられて います。ひるがえって《版画》以後しばらく、喚起力に富んだ曲名が用いられる時期が続き ます。これらの詩的な曲名は、ドビュッシーをあらゆる束縛から解放し、彼が全く新しい音楽 世界を生み出す助けとなりました。そこでは、個々の音に対する響きの優位、種々の音色 の空間化、そして音楽的時間の新たな捉え方が、驚くべき現代性を湛えています。この時 期の彼のピアノ音楽は、どこまでも華美で官能的な響きによって特徴づけられます。そして ドビュッシーは《前奏曲集》で、“...”で始まる各曲のタイトルを、括弧つきで、それぞれの譜 の最後に記しました――曲名が、描写よりもむしろ暗示を意図しているかのように。すでに 彼が、文学的な題材と距離を置きたいと望んでいるようにも感じられます。おまけに、彼が《 前奏曲集》に取り入れた少々のユーモアと辛辣なアイロニーは、斬新なリズムや曲調の急 変と好相性です。この2つの音楽的特徴は、後の《練習曲集》において完全に花開くことに なります。
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