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フィリップ・ビアンコーニ 33 貴方は数年前にドビュッシーの《前奏曲集》全2巻を録音しています。今回、彼 のピアノ音楽の歩みが到達した極致ともいえる《練習曲集》を選曲したのは、ご く自然な流れだったのでしょうか?この12曲は、ドビュッシーのピアノ音楽の 連々たる変遷の中に位置づけられると思われますか?また《練習曲集》は、どの ような作風の進展を示しているとお考えですか? フィリップ・ビアンコーニ : おっしゃるとおり、ドビュッシーの円熟期の幕開けを告げる 作品(《版画》《映像》ほか)をアルバムに収めた後、《前奏曲集》全曲を録音した私にとっ て、次なるステップは必然的に《練習曲集》でした。12の練習曲は、彼がピアノのために書 いた至高の傑作だと思います。ただし私は、かねてから魅了されていた《練習曲集》の録音 という“冒険”に、なかなか乗り出せませんでした。演奏の難易度の高さに対して私が抱い ていた恐怖心のほうが、はるかに強力だったからです! ドビュッシーのピアノ音楽を俯瞰すると、約30年にわたる音楽言語のめざましい進化に驚 嘆させられます。彼の全ピアノ作品は、ある種の連々たる流れを形作っていると考えてよい でしょう――特筆すべき例外は、そこに確かな断絶をもたらした《版画》です。早くも幾つか の前奏曲は、《練習曲集》が放つまばゆい光の萌芽を多分に含んでいます。とりわけ〈交代 する3度〉[《前奏曲集》第2巻第11曲] は、《練習曲集》を予示しているうえに、よりいっそう厳 格な練習曲に仕上げられています…… しかしドビュッシーは《練習曲集》において、リズム·響き·形式·構造の実験をきわめて大胆に 推し進めることになります。確かにそれは、彼の創造者としての歩みの到達点と呼びうるも のですが、いっぽうで、彼が未来へと扉を開いたと考えることもできます。ドビュッシーは自 身の音楽上の進歩に決して背中を向けず、それによって自身の作風を豊かにし続けまし た。しかし彼は同時に、絶えず新たな扉を開きました――その極みこそ、《練習曲集》で追 求された凄まじい急進主義です。
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